2005-12-14

坂村健氏が12万字フォントを無償公開

TRON で有名な東大大学院教授 坂村健氏が 12万字規模のフォントセットを今日からはじまる TRONSHOW 2006 にて出品するそうです。この12万字フォント(T書体)は、従来の GT コードの 78,765字に加え、中国の宋・明・清朝や江戸期の文献から抽出された「宋明異体字」が 34,499字、白川静『金文通釈』中の金文を隷定(≒ 楷書化)した「金文釈文文字」661字、そして、変体仮名・濁点仮名といった非漢字 1,814字を合わせ、都合 115,739字で構成されるフォントセットになるそうです。しかもこれらを明朝体・ゴシック体・楷書体の3書体同時に無償提供するというから驚きです。

(2005-12-23補足:なお監修者は同じ東大東文研の平㔟隆郎教授。)

以下、手短にこのフォントの長所・短所・疑問点を掲げておきます。

続きを読む "坂村健氏が12万字フォントを無償公開"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005-07-22

儒は詩・礼を以て冢をあばく

今日はどこぞの誰かさんの要望でちょっと中国モノをネタにしてみます。(笑)

中国考古学ブーム加熱!

先頃、西安近郊から遣唐使「井真成」の墓誌(ひょっとして万博に出品されてる?)が発見されたり、紀元前4世紀の戦国時代の竹書の報告書が公刊されたりと、大陸や日本の中国古代史の業界では、今 なかなか考古学が盛んです。中でも古代史で今、上海博物館が 1994年に香港の古物商から買い取った、『周易』や現在の『礼記』の中の一篇である「緇衣」、孔子が『詩経』中の各篇について論じている『孔子詩論』などを含む、戦国時代の楚の竹書(通称、上海博楚簡もしくは上博楚簡。「竹書」とは細長い竹の札を束ねた書物のこと)と、1983年から1984年にかけて江陵県張家山247号漢墓から出土した前漢の呂后二年(前186)の時の律令(通称、張家山漢簡『二年律令』。こちらも竹書)あたりがもっともホットで、中国の簡帛研究網站ではおびただしい数の論文や筆記が刻々と追加されていますし、国内でも今や中国古代は文史哲揃って出土資料を使わない研究がほとんど見られなくなるほど盛んなのが現状です。詳しい状況は最近、東北大の浅野裕一先生や阪大の湯浅邦弘先生が相次いで本を刊行されているので、そちらをご覧になると良いでしょう。

儒は詩・礼を以て冢をあばく..

そういう動きを牽制したり批判したりする訳ではありませんが、今日はやや警鐘めいたお話を紹介します。
儒は詩・礼を以て冢(つか)を発(あば)く、大儒 臚伝して曰く、「東方 作(おこ)れり、事 之れ何若(いかん)」と。小儒曰く、「未だ裙襦を解かず、口中に珠有り。詩に固より之れ有りて曰く、『青青たる麦、陵陂に生ぜり。生きて布施せずんば、死して何ぞ珠を含まん』と。其の鬢を接(も)ち,其の顪を圧し,儒(わたくし)の金椎を以て其の頤(あご)を控(たた)き、其の頰(ほお)を徐別して、口中を傷(そこな)ふこと无(な)からしめん」と。
これは『荘子』の中の一節ですが、儒者は『詩経』や『儀礼』・『礼記』などの古典にある有職故実を証明するために "発冢(墓あばき)" すら辞さないとして、痛烈に皮肉っています。あばかれた墓の主が無機的に扱われている様子が生々しく描かれていて、しかもこの墓の主は、口に咬まされている「珠」(「玉含」といって、目・耳・鼻・口・肛門など死者の体の穴を塞ぐためのものです。口に含ませる玉は蝉がモチーフになっているものが多い模様)のために、今にも金槌でアゴを取り除かれようとしています。何ともむごいシーンですが、これは現在の発掘作業の様子にもそのまま通じます。「儒者」を「ガクシャ」という派生義に置き換えて読んでみてください。笑えないくらい、今の現実そのものであることが分かるかと思います。
ガクシャは古典のために墓あばきをする。エライガクシャが「日が出てきたぞ、作業の進み具合はどうだ?」というと、下積みのガクシャは答えた、「まだ衣服を脱がせていません。口中には "ギョクガン" があります。"シキョウ" という古典にある記載の通りです!遺体の頬ヒゲを抑えて頭を固定し、私が持っている金槌で頬をたたいてアゴを切除し、口中の "ギョクガン" を傷つけないようにしましょう。」
考古学という学問が、一側面としていかに罪深い面を持っているかが痛いほどよくわかります。こういうと考古学だけが悪者になってしまうようですが、基本がデスクワークである文献史学とて、故人のプライバシーを暴くという側面がありますし、必ずしも罪無しとはいえません。

歴史学・考古学は罪深い学問と知れ

さきほども断ったように僕は考古学や歴史という学問を非難しているわけではありません。というより、僕自身も同類で、歴史も考古学も大好きな罪深い人間です。ただ、こういう罪深い側面が歴史学にあることを、それを研究している人、もしくはその恩恵にあずかっている人は折に触れて自分に問いかける必要があるのではないか、ということです。研究や報道の「独自性」や「面白味」に固執するあまり、故人の足跡を弄んだりしてませんか?自分の死後に、自分自身が研究対象にされたとして、自分が行おうとしている行為と同じ扱いをされても良いかどうか、時々 見つめ直す時があってもいいように思います。

すみません、ちょっとネガティブな話になってしまいましたが、今回は自戒も込めて..ということでお許しくださいませ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)