HTML の見出しをめぐる議論
先週は数日にわたって頭痛がひどくて、意識的に電脳から距離を取るようにしていたんですが、この周辺の話題については、色々な意見が出ていて楽しく拝見してました。
ただ、ひとつ気になったのは、思った以上に多くの方々が、現有の...ないし自分の周辺で目にするモデルの枠内だけで仕様書の内容を捉えてしまっているところ。
色んな可能性や考え方に応えられてこそ標準
徳保隆夫さんが多様な価値観を認める仕様でなければ、世間に通用しない。
(HTML に装飾要素は必要)と指摘されているように、標準規格というのは、本来 可能な限り、あらゆるユースケースを(需要の小さいユースケースや、例外的なユースケースをも)極力踏まえて、多様な需要にたえうるモデルに組み上げることが求められます。どちらかというと、モデルは需要の高い要求よりも、需要の低い要求によって、その輪郭や柔軟性が決まってきます。
ですから、石川一靖さんの「見出しは有っても無くても良いような物」だろうか
(h1要素は文書のタイトル その2:メモランダム)というのも、少し違って、おそらくは見出しのない文書も "ありえなくはない"だろうという想定の元に、ゆるめに定義しているんじゃないかと僕などは考えてます。
現行の事例はあくまで一つの応用のカタチ
個人的に、いちばんしっくり来たのは、森田雄さんの以下のご指摘。
そもそも、サイト名だの何だのいっても、サイトっていう括り(縛り)が厳格に存在しているわけじゃなくて、ページ単位がリンクで繋がってはいるものの、結局のところは個々に存在しているわけでしょう。
見出しの議論も、「HTML文書には、すべからくサイト名とページ名がある」という前提が(無意識のうちに)先にあって、仕様書を読み解く時に、それ以外の可能性に思い至らないケースが多いようですが、あまり今ある Web ページの形だけを元に、「こうでなくてはならない」的な縛りをつけることはないのではないかと思います。
もちろん、1ページに複数の h1 要素もアリ
かくいう僕も、一時期、h1 は 1ページにつき 1つが理想と考えていた時期があります。今でもその考えのすべてを捨てたわけではなく、より現実的な形に考えを変えた(もしくは状況に応じて、最適解を分けるようになった)わけですが、それでも河内正紀さんが例示しているような、1ページ内に複数の h1要素を容認する方法はアリだと思ってます。
ちなみに、僕だったら異なるレイヤーの情報が重なってひとつを成しているイメージ
(カラクリエイト:「両方がh1」というのはh1要素が複数という意味)は、自分の中でイメージするだけなく、以下のように具体的に class を使って明示的にレイヤーの違いをマークアップしちゃいます。こうしておけば、レイヤーの違いを他人と共有することもできるようになりますから。(class の挿入場所は、文書構造によっては、必ずしも hn 要素にするとは限りません。)
<h1 class="site">我的春秋</h1>
<h1 class="page">HTML の見出しをめぐる議論について</h1>
何にせよ、いたずらに仕様書の定義の解釈を狭めて、折角の仕様の柔軟性を損なうのは避けたいな思う今日この頃です。
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コメント
色んなカタチ、色んな思想があっていいんだと思います。There is more than one way to do it. その上で、自分のやりたいことを実現するための最適なカタチを模索していくということでしょうね。
でも、僕は現時点での答えの正否に関わらず、こうして思索をくり返すという過程が、何よりも大事なんだと思います。だから、ブログなどで自分の今の考えをアウトプットしている人は、きっとわずかながらでも着実に進化しているんじゃないでしょうか。
それにしても...
アタマが痛い...ガンガン響く...。(+ +||)
投稿: ゆう@管理人 | 2007-07-11 21:28
俺は未だに「h1は1ページに1つ」という信念を持っていますねえ。
というか、h1要素だけでこんなにも議論できる皆さんが凄すぎるwww。
投稿: デッドリー | 2007-07-11 21:10